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仙台地方裁判所 昭和55年(ワ)1563号 判決 1985年8月27日

原告

渡邉龍一

右訴訟代理人弁護士

高橋輝雄

佐藤正明

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

井関浩

右訴訟代理人被告職員

本間達三

梅野義行

西沢忠芳

江龍貞雄

粂山義次

池田貞直

天野安彦

大森正紀

宮田英仁

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告は被告に対し、雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、昭和五五年九月以降復職に至るまで毎月二〇日限り金一五万一二〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四〇年四月一日試用職員として、次いで、同年六月一日正式の職員として被告に採用され、順次、仙台駅、仙台運転所、陸前山王駅等で勤務したうえ、昭和五一年七月一〇日岩沼駅運転係に任ぜられ、昭和五五年八月に至った。

当時、原告の給料月額は、基本給一四万五二〇〇円、扶養手当六〇〇〇円、合計一五万一二〇〇円で、支給日は毎月二〇日であった。

2  被告は、昭和五五年八月八日、原告に対し、日本国有鉄道法(以下「国鉄法」という。)三一条により懲戒免職の意思表示(以下「本件処分」という。)をした。

右本件処分の理由は、「原告が昭和五五年四月二五日勤務中許可なく帰宅しようとし、これを制止した管理者に対し再三にわたり暴力行為を行うなど、職員として著しく不都合があった。」というものである。

3  しかしながら、昭和五五年四月二五日、原告が頭痛のため早退しようとした際、これを制止しようとした岩沼駅助役及川武雄(以下「及川助役」という。)と原告との間に紛争があったことは事実であるが、その詳しい事実関係は後記四の被告の主張に対する原告の認否及び反論の部分に記載のとおりであって、原告の所為は決して「職員として著しく不都合」と評価されるようなものではなかったのであるから、本件処分は、何ら懲戒事由がないのにもかかわらずなされたもので、無効である。

4  仮に右3の主張が認められないとしても、原告は右紛争につき昭和五五年六月三〇日仙台簡易裁判所において暴行罪として罰金二万円の略式命令を受け、同命令は、そのころ確定したが、被告が労使間のトラブルで罰金刑が確定したにすぎない職員を懲戒処分にした例は全くないといってよく、また、執行猶予付きの懲役刑が確定した職員でさえも懲戒免職にされなかった例もあり、更に、選挙違反等他の種類の刑事事件では被告の処分の基準はもっと緩やかなのであって、本件処分は、従来の処分の基準を逸脱したものであり、懲戒権の濫用であるから、無効である。

5  よって、原告は、被告に対し、雇傭契約上の権利を有することの確認を求めるとともに、右雇傭契約に基づき、昭和五五年九月以降復職に至るまで毎月二〇日限り金一五万一二〇〇円の賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3のうち処分事由不存在との点は否認、本件処分が無効との主張は争う。

3  同4の主張事実中原告がその主張のように罰金刑に処せられたことは認めるがその余は争う。

三  被告の主張

1  本件処分事由

(一) 原告は、昭和五五年四月当時、被告の岩沼駅に運転係として勤務しており、同月二五日は操車一入担当(構内貨車入換業務)の勤務を割当てられていたが、その勤務時間は、午前八時二五分から翌日の午前八時二五分までと定められていた。なお、操車一入担当は、運転係と構内係甲、乙番及び動車運転係甲、乙番とが組んで構内における貨車の分解、組成等の入換作業も行うものであるが、当日は、本来の構内係の勤務変更によって、及川助役が構内係甲番(午前九時四〇分から午後五時五〇分まで)の業務を行うこととなっていた。

(二) 同日午前一〇時ころ、原告は作業待ちのため、同駅2、3番ホームにある運転室内の休憩室で制服の作業服を着て休んでいたが、休憩室の北側に続く、助役らの執務する事務室に向かって、突然、大声で、「まだ、バファリンねえのが。」と叫んだ。この時、右事務室にいて原告の右発言を聞いた及川助役が、原告に対し、「善ちゃんに聞いたんだが、いま在庫がないんだ。」(「善ちゃん」とは、同駅の斎藤善二郎輸送管理係のことである。)と答えたところ、原告は、「今日も頭が痛くなるからバファリンがなければ帰るぞ。」と冗談とも真面目ともつかない口調で言ったため、及川助役は、原告に帰宅されては業務上支障があると考え、自己の所持金から千円札を出して、運転室内にいた構内係の氏家敏晴(以下「氏家」という。)に近くの薬局からバファリンを買ってくるよう依頼し、同人はすぐ買いに出かけ、その後間もなく原告も運転室から出て行った。

(三) 同駅の当日の当務駅長立谷重晴助役(以下「立谷助役」という。)は運転室内の事務室にいて原告の右発言を聞いたものの、これに応答せず、午前一〇時〇六分発の第二二一一M列車を扱うため、二番ホームに出てこの列車の発車業務を扱った後、第四三〇D列車が入線していた一番ホームへ移動し、同ホームの列車発車合図器のある位置で、午前一〇時一五分発の同列車の発車時刻を待っていた。その時、同ホームの南の方から原告が小走りに立谷助役に近づきながら、「俺、頭が痛いから帰るから。」と言ったが、同助役は発車予鈴を鳴らしながら原告にただ「だめなのか。」と答えた。原告はそのまま小走りで駅本屋の方へ去った。立谷助役は、そのまま一番ホームで午前一〇時一九分発の第二三二列車の発車業務を扱った後、すぐ運転室に戻り、当務駅長の席のところに立っていたところ、私服姿になった原告が運転室南出入口から首を出し、足を一歩踏み入れた状態で立谷助役に向かって「今日は年休にしておいてくれ。」と言った。これに対し、立谷助役は返事をしなかった。

(四) これより先、及川助役は、氏家が買ってきたバファリンを同人から受け取って所持し、運転室内の中央付近の椅子に座っていたが、原告の右発言を聞き、立ち上がって原告の前に行き、バファリンの錠剤の入った箱を開封しこれを右手に持ち、手の甲を上にして原告に差し出し、「薬を買ってきたから飲めや。」と言ったところ、原告は、「一週間も前からバファリンを用意しておけといったのに、そんなの飲めるか。」と声を荒げ、「帰る。」と言った。及川助役が、「当務駅長に話して帰れ。」と言ったところ、原告は、突然、怒った顔つきとなり、自分の右手を顔まで振り挙げ、その手掌で、薬を持って差し出していた及川助役の右手甲部を一回殴りつけた。そのため及川助役が右手に持っていた薬が手から振り落とされ、箱に入っていた錠剤のパックが箱から飛び出して、床に散らばった。原告は、更に、及川助役に「お前なんだ。」と大声を張り上げた後、荒い口調で、「そこに座れ。」と言って、左手で同助役の右肩を押さえつけ、同助役をすぐ後の休憩室の畳敷きの上り縁の隅に座らせた上、ズック靴を履いていた同助役の両足の甲部を右、左、右の順で強く捩るようにゴム底の皮靴で踏みつけ、更に、腕組みをした原告の腕部で、同助役の胸部を二、三回押しつけた。同助役は、上体がのけぞるようになったが、両腕を畳につけて身体を支え、倒れるのを防ぎながら「暴力行為をしているから見てくれ。」と叫んだ。立谷助役が二人の間に入り、原告は及川助役から離れた。

(五) 次いで原告は、及川助役に、幾らか声を和らげ、「俺は薬の箱をたたいたんで、手なんかたたかないからな。足はお前が出したんで踏んじまっただけだど。」と言ったので、及川助役が、「嘘つくな。暴力振ったのはみんな見ているではないか。許せない。」と言ったところ、原告は更に及川助役に、「外で話すっから出ろ。」と大声で叫んだ。原告は付近にいた立谷助役、目黒正夫構内係、鈴木俊美運転係らがそれぞれ原告に「龍ちゃんやめろ。」と言うのを無視して、運転室を出て、二番ホームから一番ホームに通じる職員通路を通って、運転室の東向かい側にある危険物屋内貯蔵所(以下「油庫」という。)の前を通り、自転車置場の東側に駐車してあった自己の乗用車の前まで歩いて行ったので、及川助役もこれに付いて行ったところ原告は同所で右乗用車の運転席のドアを開けて、及川助役に、「中に入れ、話すっから。」と言った。そこで同助役は、原告に、「何も車の中の密室なんかで話すことなく、外で話したらいいんじゃないか。」と言い、自動車に乗ることを拒否して、運転室にもどるべく歩き出し、油庫の前まで至ったところ原告は、追いかけて来て、同所で同助役と、「車に乗れ。」「乗らない。」と押問答をした。同助役がそこで原告に、「お前も暴力団にたたかれてどういう気持になる。」と言ったところ、原告は、「私生活の面に口を出すな。お前がそないぐして挑発すんだべ。」と言い、同助役が「お前が現実に暴力を振っているんじゃないか。挑発でもなんでもないべ。」と返答したところ、原告は、右手で同助役の胸ぐらをつかんで、強く突張ったので、同助役は後のめりになって少しずつ後退し、油庫前に二段に積まれたドラム缶の底部に背中を押しつけられ、頭部も後のめりになった格好で、三回ぐらい強く押しつけられた。この時、同助役に付いて来て付近にいた立谷助役が、右二人に近寄り、「なんでこういうことをするんだ。龍ちゃんやめろ。」と言って二人の間に割って入り、原告の暴行をやめさせた。

(六) 原告は、その後油庫の前で約二〇分立谷助役と話し合い午前一〇時五〇分ころに至り、「頭が痛いのも治ったようだし、今日は働く。」と言ったので、立谷助役も「そうしてくれ。」と言った。原告は近くでこの様子を見ていた田島剛運輸係からバファリンをもらって飲んだが、その際立谷助役に、「仕事は一四時からすればよいから、それまで駅本屋で休む。今日の連結甲番が及川助役では、一緒に仕事ができないから別の人を手配しろ。」などと言った。原告は、その後いったん運転室に戻って来て、大声で「マル生だ。」と叫んだ後、運転室を出た。原告は、当日午後〇時二五分から作業に就く予定になっていたが、原告はその時刻を過ぎても作業に就かず、午後〇時三〇分ころ作業服に着替えて運転室に戻って来た。そして立谷助役が、午後一時二〇分ころ原告に対し、作業に就くように言ったところ、原告は、「及川助役は構内係として仕事をしているんだか、助役として仕事をしているんだかわからない。不信感があるので一緒に稼がんね。」と言い、立谷助役が原告に対し、更に何回も作業に就くように指示したが、原告は、「及川助役は、連結甲番なのに当務駅長みたいな口をきいた。及川助役が謝罪しないかぎり仕事をしない。」などと言い張り、一向に作業に就こうとしなかった。立谷助役は、このような状態では作業ができないと判断し、当日、列車扱いの助役であった斉藤保夫(以下「斉藤助役」という。)に及川助役に代って構内係甲番(連結甲番ともいう。)に入ってくれるよう依頼し、その承諾を得て、原告に対し、斉藤助役が甲番に入るから直ちに仕事をするように通告したが、原告は、「斉藤助役も同じ管理者であり、管理者一体だから考えは同じだべ。及川助役だけが特別なんだと認めろ。そうすれば斉藤助役と働く。」と難題を言って作業をせず、立谷助役が仕事だけはするようにと原告を説得し続けたが、原告は、「俺のいうとおりしなければ作業をしない。助役の服を脱いで一般職のヘルメットをかぶれ。」と言った。斉藤助役も、従来はそうしないでやってきたではないかと説得したが、原告は聞き入れず、ついに午後四時一五分ころになってしまったため、作業時間がなくなることを恐れた斉藤助役がやむなく上衣を脱ぎ、一般職の安全帽をかぶったところ、原告はようやく作業に就くことに同意し、午後四時二五分入換の打合せを行い、同三〇分に入換作業を開始した。

しかして、原告らは午後四時に大昭和パルプ専用線を出線した貨車二九両の分解、整理をして、午後五時二五分ころ入換作業を終了したが、原告の前記就業拒否のため、同日予定されていた第一五九二、第一五七五、第一五九一各列車の解放車の整理及び専用線の入換作業ができず、また、当日出線予定であった下り方面発送車及び貨物線の発送整備車の出線が翌日になってしまった。

(七) このように、原告は、勤務中許可なく帰宅しようとし、原告の要求する鎮痛剤(本来原告が自分自身で常備すべき筋合のものである。)を自費で調達してまで原告に帰宅を思いとどまらせようとした管理者の及川助役に対し、職場である運転室内及び岩沼駅構内の油庫前において再三にわたり暴力をふるった(このため、原告は、昭和五五年六月三〇日、仙台簡易裁判所の略式命令により、暴行罪として罰金二万円に処せられ同命令は確定した。)上、正当な事由なく作業を拒否し、正常な業務を妨害したものであって、原告の右各所為は、日本国有鉄道就業規則(以下「国鉄就業規則」という。)六六条一七号にいう「職員として著しく不都合な行為」に該当することは明らかであり、したがって、国鉄法三一条一項一号に該当する。

2  本件処分に懲戒権の濫用はないことについて

(一) 国鉄法三一条一項は、被告の職員が懲戒事由に該当した場合に懲戒権者である被告の総裁は、懲戒処分として免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる旨を規定しているが、懲戒事由に当たる行為をした職員に対し総裁が右の各処分のうちどの処分を選択すべきであるかについては、その具体的基準を定めた法律の規定はなく、また、被告の業務上の規程である国鉄就業規則にも具体的基準の定めはない。ところで、懲戒権者がどの処分を選択するかを決定するに当たっては、懲戒事由に該当すると認められる所為の外部に表われた態様のほか、右所為の原因、動機、状況、結果等を考慮すべきことはもちろん、更に当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合考慮した上で、被告の企業秩序の維持、確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきであるが、どの処分を選択するのが相当であるかについての判断は、前述のようにかなり広い範囲の事情を総合考慮した上でされるものであり、しかも、前述のように、処分選択の具体的基準が定められていないことを考えると、右の判断については懲戒権者の裁量が認められているというべきである。

したがって、懲戒権者がその裁量権に基づいてした懲戒処分は、それが著しく合理性を欠き、社会常識上到底是認できない場合を除き、無効とされることはないというべきである。

しかも、前述のように裁量に際し考慮すべき事項は広範にわたるのみならず、これらの事項については、懲戒権者が平素から部内の事情について精通し、職員の指揮、監督をしているのであるから、訴訟における懲戒処分が懲戒権の濫用に当たるかどうかの判断は、当該懲戒処分が社会通念上是認できないほど合理性を欠くかどうかの観点からなされるべきものである。

(二) 被告は、従前国家がその行政機関を通じて直接に経営してきた国有鉄道事業を中心とする事業を引き継いで経営し、その能率的な運営によりこれを発展させ、もって公共の福祉を増進することを目的として設立された公法上の法人(国鉄法一条)で、その資本金は全額政府の出資によるものであり、その事業の規模が全国的かつ広範囲にわたるものであって、それ自体極めて高度の公共性を有するものであるが、このような公共の利益と密接な関係を有する事業の運営を目的とする企業体においては、その事業の運営内容のみならず、更に広くその事業のあり方自体が社会的な批判の対象とされるのであって、その事業の円滑な運営の確保と並んで、その廉潔性の保持が社会から要請ないし期待されているのであるから、このような社会の評価に即応して、その企業体の職員に対しては、公務員と同様に、一般私企業の従業員と比較して、より広い、かつより厳しい規制がなされうる合理的理由がある。

(三) 以上述べた見地から本件処分について考えてみると、前記1の原告の所為自体からみても、原告を企業外に排除することはやむを得ないものとして社会的にも是認できるはずであり、本件処分に懲戒権の濫用があったとはいえないものである。

(四) 更に、本件処分に際しては、懲戒処分としていかなる処分を選択するかを決定するにつき次に述べるような原告の過去の懲戒処分歴や非違行為、平素の勤務成績や勤務態度も考慮されたのであるが、これらの点をも勘案すれば、なおさらのこと、本件処分を懲戒権の濫用などと評価することは到底できないものである。

(1) 原告の過去における非違行為

(ア) 懲戒処分歴

<1> 昭和四六年三月一日減給六月一〇分の一

昭和四四年一一月一三日陸前山王駅に勤務していた原告が、駅長豊島源蔵から勤務時間内に制服の胸につけていたリボンをはずすよう注意された際、同駅長の左頸部を平手で殴り、三日間の傷害を負わせたことによる。

<2> 昭和四七年三月三一日減給一月一〇分の一

昭和四六年五月一八日の国鉄労働組合の闘争に参加し、出勤しなかった(不参)ことによる。

<3> 昭和四九年一〇月一日戒告

昭和四八年九月二〇日の国鉄労働組合の闘争に参加し、勤務しなかった(欠務)ことによる。

(イ) その他の職場内の暴力行為

<1> 昭和四三年三月一二日陸前山王駅当務駅長藁科稔助役に対する暴行

同日午後八時ごろ同駅小荷物担当の机のところで若い職員が集まり騒いでいた中から原告が入換作業に出場しようとしたので、当務駅長の藁科助役が自席から原告に対し注意して行くよう声をかけたところ、原告は引き返して当務駅長のテーブルの脇に行き、同助役の左顔面をめがけて横なぐりに右手を振ったが、同助役がとっさに顔をそむけたので、原告の手が同助役の眼鏡に当たり、眼鏡は飛んで床に落ち、破損した。

<2> 昭和五一年一月二二日陸前山王駅における伊藤亨運転係に対する暴行

同日午後一一時三〇分ごろ同駅事務室で伊藤運転係と原告とがいさかいとなったが、原告は中腰の姿勢で列車番号札を整理していた伊藤の右目を手拳でいきなり殴りつけたほか数回顔面を殴打した。鈴木弘助役が制止したので原告は暴行をやめたが、伊藤は口の中が切れたほか目と鼻の間に黒いあざができた。

(ウ) 職場外の非行

<1> 昭和四三年三月二〇日略式命令罰金七〇〇〇円傷害罪

<2> 昭和五三年九月二九日略式命令罰金一万七〇〇〇円道路交通法違反

<3> 同年一一月一五日略式命令罰金一万円罪名は<2>と同じ

<4> 昭和五四年一〇月三日略式命令罰金二万五〇〇〇円罪名は<2>と同じ

(2) 原告はしばしば管理者から指示された作業を拒否したり、作業の際守るべき内規や指示違反の作業をしたりあるいは無断で遅刻、早退をしたり、また、出勤時刻の直前の休暇申込みが多く、その勤務成績は不良であったが、昭和五二年一一月以降の例は次のとおりである。

(ア) 作業拒否、違反作業

<1> 原告は昭和五二年一二月二七日、岩沼駅操車二入担当(列車の入換業務)として勤務中、大昭和パルプ専用線から午後七時出線予定の貨車が三〇分遅れて到着したため、第八五九九列車の車両の入換が所定ダイヤの時間内に終了できなくなったところ、一時間の超勤手当をくれなければ作業をやらないと言って時間内に解放作業のみして連結作業をせず、このため残った車両の連結作業は翌日となった。

<2> 原告は昭和五三年一月一五日、岩沼駅操車一入担当勤務中午前一〇時四〇分ころ大昭和パルプ専用線の入換作業中、岩沼駅運転作業内規で禁止されている貨車の突放入換を行った。

<3> 原告は同年四月九日、岩沼駅操車一入担当勤務中、午後三時五〇分大昭和パルプ専用線から出線した貨車の入換作業にあたり、貨物一、二番線を使用して仕分け作業中、同様に突放入換を行った。

<4> 原告は同年七月二一日、岩沼駅操車一入担当として勤務中午前六時四〇分ごろ同駅長の指示で下り三番線又は下り四番線に留置すべきレール積貨車二両を砂利線の車両接触限界外に留置しようとして目黒正夫動車運転係に注意されたところ、入換動車が動かないといって作業を放棄した。その後、平間勝郎助役も新幹線レール輸送に支障があるので入換を指示したが応じないため、平間助役が自ら入換作業をした。

<5> 同年九月二八日、岩沼駅管理者から原告ら三名の日勤勤務者に対し、下り二番線、同三番線の除草をするようにとの作業指示がなされ、再三作業が命じられたが原告は、午前中作業に就かず、午後一時ころ、引き続き除草作業が命じられたが作業をせず、午後二時ころ原告から休養室、ロッカー室、休憩室を清掃するとの申出がなされたので、そのように作業指示が変更された。

<6> 原告は、昭和五四年一月一二日、岩沼駅操車二入担当勤務中、第二七二列車の貨車解結作業終了後、機関士に対し制動試験合図をしたが応答がなかったとして、確認もしないで放置し、機関士からの連絡で平間助役が制動試験をした。

<7> 原告は、同年七月一七日、岩沼駅操車二入担当として勤務中、午後一時三〇分ころ、運転室内の休憩室で大昭和パルプ専用線から午後二時に出線した貨車を見て、最前部に飯田町行貨車が連結されていないことを発見するや、「日本通運の協定違反だ。作業をやるな。」と入換作業に従事中の操車一入担当の大宮敏明を唆した。

<8> 昭和五五年一月二九日、交番検査車両の臨時検査の結果、検査票白票により交番検査車両は、長町貨車区と郡山客貨車区に回送されることに指示されたが、原告は、岩沼駅操車一入担当で、午前一〇時ころから始まる入換に際し、作業計画では交番検査車両は長町貨車区あて回送することになっていると言って、その作業を拒否した。

<9> 原告は同年二月二八日、岩沼駅操車二入担当勤務中午後六時四〇分ころ、貨車入換に際し前記のとおり突放入換が禁止されているにもかかわらず、下り三番線に貨車四両を突放した。

(イ) 無断遅刻、早退及び出勤時刻直前の休暇申入れなど

次に述べる原告の遅刻及び早退はいずれも、被告の管理者に無断でされたものである。

また、年次有給休暇(以下「年休」という。)の時季指定については、代替要員の確保又は作業計画の変更を行うに必要な時間的余裕(少くとも勤務当日の前日まで)をもってなされるべきものとされているが、次に述べるのは、いずれも、原告が勤務当日の朝又は勤務開始後に突然年休の指定を行ったため、被告の管理者がやむを得ず年休の扱いとした事例である。

<1> 原告は昭和五二年一一月二六日、岩沼駅連結二入担当として午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分まで勤務に就くべきところ、その直前の同日午前八時一〇分ころ原告の妻から腹痛のため休ませて欲しい旨の連絡があり、公休を繰り上げた。

<2> 原告は昭和五三年二月一日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、午前八時五五分に出勤したが、遅刻について事前の連絡がなかった。

<3> 原告は同月一二日、岩沼駅連結甲番として午前九時四〇分から午後五時五〇分まで勤務すべきところ、出勤後の午前九時三〇分ころ、当務駅長の板橋照夫助役に対し隣組の人が死亡したので手伝わなければならないから帰してもらいたい旨の申し出をしたので、同助役は、代務者の手配がつけばよいと答えて手配したところ、公休の千尋文弘構内係が勤務変更に応じたので、原告の申し出を承認し、勤務を連結甲番から非休と変更した。

<4> 原告は同年八月一日、岩沼駅操車二入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、事前の連絡がなく二〇分遅刻して午前八時四五分に出勤した。

<5> 原告は同月一〇日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ事前の連絡もなく一時間二〇分遅刻して午前九時四五分に出勤した。

<6> 原告は同月一三日、岩沼駅操車二入担当として午前八時二五分まで勤務すべきところ、午前七時三〇分ころ、お盆のため三〇分早く帰して欲しいとの申し出をし、拒否されたのにかかわらず、午前七時五五分に無断で早退した。

<7> 原告は同月二三日、岩沼駅連結二入担当として午前八時三〇分から勤務すべきところ、同日の午前八時ころ、原告の妻から下痢のため休ませて欲しいとの申し出をし、かつ病院の診療結果を連絡するように指示されたのにかかわらず、翌二四日になっても連絡をしなかった。

<8> 原告は同年九月二八日、岩沼駅日勤勤務として、午後五時〇五分まで勤務すべきところ、午後四時三〇分ころに無断で勤務を離れて早退した。

<9> 原告は同年一〇月二一日、岩沼駅操車二入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、事前に連絡なく一五分遅刻した。

<10> 原告は同年一一月二日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から翌日午前八時二五分まで勤務すべきところ、同日午前六時五〇分ころ、原告の妻から腹痛のため休ませて欲しい旨の電話連絡をした。

<11> 原告は昭和五四年一月一六日、岩沼駅操車二入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、同日午前七時三〇分ころ、原告から頭痛のため休みにして欲しい旨の申し出をした。

<12> 原告は同月一八日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から翌日午前八時二五分まで勤務すべきところ、午後三時三〇分ころ、腹痛を訴え、岩沼市内石垣病院の診療を受けた結果三日間の静養加療が必要とのことで午後五時に帰宅した。

<13> 原告は同年二月二五日、岩沼駅操車一入担当として勤務中の午前一〇時五〇分から午前一一時三〇分までの間、当日の作業計画では手待ち時間であったところ、無断で外出した。

<14> 原告は同年三月二〇日、岩沼駅日勤勤務として午後五時〇五分まで勤務すべきところ、午後三時ころ無断で外出し、勤務時間内に帰らなかった。

<15> 原告は同年五月一日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、同日午前七時二五分ころ、原告の妻から風邪のため年休をとりたいとの電話連絡をした。

<16> 原告は同年八月五日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務するため出勤したが、点呼前に当務駅長の仲谷輝幸助役に足が痛いことを理由に休みをくれと言い、点呼後同日の当務駅長佐藤善午助役が原告に話しかけたところ、原告は同助役に対し大声で病人を使う気かと激しく言い寄った。大石総括助役も加わって勤務を連結二入担当に変更してもだめかと尋ねたが、原告が勤められないと言い張った。

<17> 原告は同年一〇月一二日、岩沼駅操車二入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、同日午前七時三〇分ころ、腹痛のため休ませて欲しい旨原告の妻から電話連絡をした。

<18> 原告は同月三〇日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、同日午前七時四五分ころ、風邪のため休みたい旨原告の妻から電話連絡をした。

<19> 原告は昭和五五年一月一九日、岩沼駅日勤勤務として午前五時〇五分まで勤務すべきところ、午後四時ころ、無断で運転室からいなくなり、勤務時間内に戻らなかった。

<20> 原告は同月二四日、岩沼駅操車一入担当として勤務すべきところ、午前八時三五分からの点呼に理由もなく出席しなかった。

<21> 原告は同年二月一日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、無断で一五分遅刻した。

<22> 原告は同月二一日、岩沼駅操車一入担当として午前八時二五分から勤務すべきところ、同日午前七時三〇分ころ、原告の妻から風邪で頭痛がするので休む旨の電話連絡をした。

<23> 原告は同年三月一七日、岩沼駅日勤勤務として午後五時〇五分まで勤務すべきところ、午後三時三〇分ころ、無断で運転室からいなくなり、勤務時間中の所在が不明となった。

<24> 原告は同年四月一二日、岩沼駅操車一入担当として勤務中、午後〇時ころ、原告から「頭が痛くて仕事ができない。」と当務駅長の仲谷助役に申出があり、同助役は原告の態度から右申出の内容が真実かどうか判断に迷ったが、公休の大友昭一運転係を代務手配したところ、原告は頭痛がひどくなったと言って午後三時ころ帰宅した。

<25> 原告は同月二二日、岩沼駅操車一入担当として勤務中午前九時五〇分ころ、原告から当務駅長の根元利定助役に対し、「頭が痛いので年休で帰る。」との申出があり、根元助役が「だめなのか。」と聞いたところ、原告は、「だめだから帰る。」と言って運転室を出てしまった。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告の主張1について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)の事実のうち原告が運転室内の休憩室で休んでいたことは認め、及川助役がバファリンを買ったことは不知、その余は否認する。

真相は以下のとおりである。

昭和五五年四月二五日午前九時を少し過ぎたころ、原告は、頭が痛みだし、次第に痛みが強くなったため、運転室内にいた氏家に対し、「薬箱からバファリンを持って来てくれ、もしなかったら助役に言ってもらってくれ」という趣旨のことを頼んだ。氏家は薬箱を見たが薬が無いらしく、斉藤助役の近くで「龍ちゃん頭痛いと言ってるが、バファリンないんですか。」と聞いていた。

その後、原告は、午前一〇時二〇分ころまで我慢したが、ついに耐えかねて、誰に言うともなく、「頭痛いから帰っかな。」と言ったところ、同僚のだれかが「んだ、無理して仕事するより帰った方がよい。」と言ったため、原告も帰ることに意を決し、「んで、帰っかな。」と言ったものである。

(三) (三)の事実のうち、当日の当務駅長が立谷助役であったこと、同助役が一番ホームにいたこと、その後運転室に移った同助役に対して「今日は年休にしておいてくれ。」と言ったことは認め、その余は否認する。

真相は以下のとおりである。

年休をとって帰ることに意を決した原告は、斉藤助役に当務駅長立谷助役の居場所を尋ねたところ、「一番ホームにいる。」との返事であったので、駅本屋に向いながら、途中一番ホームにいた立谷助役に対して「頭痛いから帰してもらうかんね。」と申し入れたところ、同人は、「うん。」と返事をして、これを了解した。そこで、原告は、帰宅すべく駅本屋二階の休憩室で私服に着替えたが、年休処理にしてもらうことを言い忘れたことを思い出し、同駅駐車場で自家用車に乗って油庫前まで行った後、エンジンをかけたまま車を降り、右年休処理の件を立谷助役に告げるべく再度運転室に赴いた。原告は、二番ホーム南側の入口から運転室に入り、当務駅長の机の所に立っていた立谷助役に、「今日は年休にしてな。」と軽く右手を挙げながら頼むと、同助役も、「うん」と返事をしながら、右手を軽く挙げ、これを了解した。

(四) (四)の事実のうち、及川助役がバファリンの錠剤の入った箱を原告に差し出したこと、同助役の持っていた薬が原告により振り落とされ、錠剤のパックが箱から飛び出して床に散らばったことは認め、その余は否認する。

真相は以下のとおりである。

原告が立谷助役から年休処理にしてもらうことの了解をとった時、及川助役が原告に近付き、原告を強く非難するような口調で「何だ稼ぎに来て、そんなんで帰んではおかしいでねえか。当務駅長さ話したのか。」と言った。これに対して原告は、「当務駅長には今話したんでねえが。あんたは、今日は連結甲番だべ、余計なこと言うんでねえ。」と言ったところ、同助役は、「とにかく薬買って来たから飲め。」と言って、前記錠剤の入った箱を、開封した状態で、軽く両手に持って原告に差し出した。原告は、右助役の対応や言い方等に一瞬腹が立って、「いらぬ。」と言って、強く拒否する意味で、左手で薬の箱の先を軽く上からたたいた。薬箱は、下に落ちて、中に入っていた錠剤のパックが床に散らばると同時に、四、五枚の硬貨も床に散らばった。すると同助役は、「なにすんだ、たたいたな。」「立谷さん時間は。」「手をたたいたんだがな。」などと言ったので、原告が、「どこをたたいたってや、薬箱たたいたんだべ。」と言うと、右助役は、「いや手をたたいた。」と言いながら箱を拾ったので、原告は、その箱を同助役に持たせたままの状態で、「何言ってんのや、こうやって箱たたいたんだべ。おかしいこと言うんでねえ。」と言いながら、たたいた時の様子を実演した。その後、同助役は、運転室内の畳敷きの休憩室の上り縁に両足を少し開いて前に投げ出すような格好で腰をおろした。一方、原告は、のどが乾いたので、水を飲むため流しの方に行くつもりで、右助役の前を通ろうとした時、同助役が右のような格好で足を大きく前に投げ出していたので、原告が「何だ、足をそんな風に出していたら踏まれっと。また足踏まれたなんて言うなよ。引っこめておけ」と言いながら、右足に重心をかけ、左足のかかとで同助役の左足先を踏むまねをしたが、同助役は、何も言わず、足も引っ込めなかった。原告は、水を飲み、再び同助役の前を通りかかったが、同助役の右斜前に目黒正男が立っていたので、まず同助役の前を通り、目黒の背中に抱きつくような格好で両者の前を通ろうとした。ところが原告は重心を失い、同助役の右足の方に腰をおろすように尻もちをついてしまった。その際、原告の左足のもものあたりが同助役の右足のももの上に重なるようになったが、原告は直ちに足をはずした。原告が、その後直ちに目黒につかまって立ち上がり、出入口から帰ろうとしたところ、同助役は、「手をたたかれたし足も踏まれた。報告するからな。」と言った。原告はそのような報告をされるいわれはないので、「何言ってんだ、どこたたいたってや。足なんか踏んでねえべ。」と言う一方、このままの状態では本当に報告されかねないと思い、もう少し二人で話をした方が良いと考えて、「とにかく話すから来てけろ。」と言った。

(五) (五)の事実のうち、原告が及川助役に対して外に出るよう促したこと、同助役も原告に付いて室外に出たこと、原告が同助役に原告所有の乗用車に入ることを促したことは認め、その余は否認する。

真相は以下のとおりである。

原告が及川助役に外に出るよう促したところ、同助役も「いいべ、どこさでもいんから。」と言って、原告の後に付いて来たが、同時に、立谷助役、目黒、氏家、鈴木俊夫らもついてきた。原告は、職員通路を通った後、自分の車の中で話そうと思い、まず原告が運転席に乗り、次いで助手席のドアのロックをはずし、及川助役に、助手席に乗るよう手で合図した。すると、同助役は、「そんな密室で話なんかできねえ。」と言って拒否したので、原告も車から降り、車の近くで話をすることにした。

話のやり取りの要旨は以下のとおりである。

原告「手をたたいたとか何とか言っているが、薬箱をたたいただけだべ。一体何が目的なのや。」

及川「いや手をたたいた。みんな見ている。」

原告「そんな嘘言うんでねえ。それにみんな見ているっていうが、誰が見たっていうのや。」

及川「いやみんな見ている。」

原告は同所近くにいた立谷助役に、「みんな見ているって言っているが、あんた見ていたのか。」と言って尋ねた。

立谷「いや見ていない。でも薬箱たたいたのは間違いないべ。」

原告「薬箱たたいたのは見たのか。」

立谷「いや見ていない。」

原告「そんならはっきり見ていないって言ったらいいべ。第一、あんたは当務駅長だべ。年休認めたんだべ。」

立谷「うん認めた。」

原告「そんなら何ぼ助役だって、連結甲番の助役に余計なこと言わせておっこどねえべ。管理者一体の原則からいっておかしいべ。」

立谷「いや、それはそうだけど……。」

原告は、立谷助役といつまで話をしていても仕方がないと思い、更に、近くにいた及川助役の方に向かって、歩きながら、「誰が見ていたってや、立谷助役も見てねえって言ってるぞ。とにかく、あんたは何が言いたいのや。ちゃんと話したらいいべ。」と言ったが、同助役は、「いや、暴力団みたいなのと話なんかできねえ。」と言いながらその場を立ち去ろうとした。

原告は、同助役の言い方や態度に一瞬腹が立ち、同助役の着ていた作業服の右襟を左手でつかみ、一度引き寄せたところ、同助役は、「なんだ、胸ぐらつかむんだな。」と言いだしたので、原告は、これ以上体に手をかけていると何を言われるかわからないと思い、直ちに手を離した。

原告「暴力団とは何だ。」

及川「暴力団って言ったんでなくて、あんたもこの間暴力団に殴らったんでわかっべっていうことだ。」

原告「それとこれと何関係あんだ。おかしいこと言うな。」

及川「とにかく手をたたかれたし、足も三回踏まれたのは確かなんだから。報告するからな。」

及川助役は右やり取りの後運転室の方に帰って行き、原告は、これ以上話合いをしようとしても無駄と思い、更に同助役を追うことはしなかった。

(六) (六)の事実のうち、原告が立谷助役と話し合ったこと、原告が当日は休まないで働くことにしたこと、田島剛からバファリンをもらって飲んだこと、及川助役とはその日は一緒に仕事をする気にはなれないと言って別の人に替えてくれと頼んだこと、作業が遅れたこと、下り発送車両の出線が翌日となったことは認め、その余は否認する。

真相は以下のとおりである。

及川助役が立ち去ってから、原告は、立谷助役と概ね以下のようなやりとりをした。

原告「どうしてあんたは明確な態度をとらないのだ。年休は承認したではないか。」

立谷「うん。」

原告「第一、あんたは当務駅長だろう。いくら及川助役が先輩だからって、及川助役は甲番ではないか。あんたがちゃんとした態度をとればこんな問題は起こらないんだ。」

立谷「それはそうだけど。」

原告「俺が運転室に行く前に、休みを認めたことを話し合っていたのではないか。」

立谷「いや運転室に戻ったばかりで、そういう話はしていない。」

原告「及川助役はたたいたと言っているが、見たのか。」

立谷「いや見ていない。」

立谷助役は次いで原告に対し、「龍ちゃん、今日は帰んない方がいいんではないか。」と言ったので、原告はこれに対し、「んだな、頭痛いのもふっとんだかもしんねえな。帰らない方がいいかな。稼ぐのはいいが、今日は及川助役とは一緒に稼がんねな。助役でなく、ちゃんと甲番手配してもらえんのかね。」と言った。同助役はそこで、「わかった、手配してみる。」とこれを了解した。原告は、更に、立谷助役に対し、「それから頭痛いのが本当になおるのかどうか、薬飲んで二、三時間寝てみないとな。入換えは一四時からで間に合うから。」と言うと、同助役は、「そうしてくれ。」と言って了解した。

その後、原告は、田島からバファリンをもらって飲み、休養室で休んだ後、午後一時近くに運転室に戻った。

午後一時二〇分ころ、原告が、立谷助役に、甲番の手配がついたかどうか尋ねたところ、及川助役のままでやってもらうとの返事だったため、原告は、「約束したのだから甲番の手配をしてくれ。構内作業は息が合わないと作業できない。たたきもしないのにたたいたなんて言うような及川助役では信頼できない。そんな面白くない気持で危険な構内作業はできない。」旨主張したが、同助役はこれには答えず立ち去った。

原告は、大昭和パルプ専用線の一四時出線が終わったころ、「さあ入換やるぞ、連結甲番は誰だ。」と言うと、及川助役が「私です。」と答えたため、原告は、「いやあんたは助役だ。たたきもしないのにたたかれただの、助役になったり連結になったりでは信頼できない。当務駅長が甲番手配すると言ったんだから手配してもらう。」と言った。立谷助役はその後しばらくして、来て、原告に対し、「連結甲番は斉藤助役ではだめか。」と言ったので、原告は、「斉藤助役も助役ではないか。助役になったり、連結になったりしないのか。」などと異議を述べたが、結局、原告は、分会書記長の目黒が総括助役と当日の一連の問題につき話し合うということを確認の上、斉藤助役が連結甲番ということで作業をした。

なお、被告主張の原告が「助役の服を脱いで」云々と発言したとの点は、目黒が「そういう服装だから助役だか連結だかわかんなくなるんだ。ちゃんと構内作業の服装でやれ。」と言ったものであって、原告の発言ではない。

原告は、甲番勤務中にできなかった作業の残り分は、乙番と一緒に当日中に処理し、下り発送車両の出線前までの作業は終了した。

(七) (七)の事実のうち原告が罰金刑を受けたことは認め、その余は否認する。

原告と及川助役との間のトラブルの真相は原告の前記主張のとおりであって、もとより「職員として著しく不都合」といえるようなものではない。

2  被告の主張2の(四)について

(一) 冒頭の主張は争う。

(二) (1)の(ア)(懲戒処分歴)について

(1) <1>ないし<3>の各懲戒処分がなされたことは認めるが、被告指摘の原告のリボン着用及び各組合活動への参加はいずれも正当な国鉄労働組合の組合活動として行ったものであり、右各処分は違憲・違法なものである。

なお、<1>の事実関係の真相は次のとおりである。

原告は、昭和四四年一一月一三日、原告の所属する国鉄労働組合の指令で、陸前山王駅において、組合活動としてリボンの着用をして勤務していたところ、豊島駅長が「なんだ、それは。とれ。」と言って、いきなり右リボンを外そうとしてつかんだので、原告はその手を払いのけようとしたとき、右豊島の左頸部に原告の手が当たったというものであり、これは、豊島の急迫不正な侵害に対する正当防衛行為である。

(2) 被告の右主張は、既に処分済みの事由を更に同じ事由をもって別件である本件処分の有効性を理由付けようとするものである。したがって、仮に被告がその主張の「懲戒処分歴」をも本件処分の理由としたのであれば、本件処分は、明らかに同一事由による二重処分であり、無効といわざるを得ない。

(三) (1)の(イ)(その他の職場内の暴力行為)について

(1) <1>の真相は次のとおりである。

原告が、竹内和男駅務掛(当時)と駅員会規約につき話し合っていたところ、藁科稔助役が原告に「やろこのくせになまいきなこというな」と言ったので、原告が同助役に対し口を挾まないように言ったところ、同助役が、更に、「仕事中だ、じゃまするな。」と言ったので口論となり、原告の手が右助役の眼鏡に当たってこれを壊し、原告は同助役に顔面を殴られ、下唇左側が出血した。原告が警察に行こうと言うと、同助役は、「いや悪気はなかった。あなたがそんなに怒るのだから私の方が悪かったんだと思う。」と謝罪し、原告も詫び、眼鏡の弁償を申し出ると、同助役は、「弁償は必要ない。何もなかったことにして水に流そう。」と言った。このように、これは解決済みの事件なのである。

(2) <2>の真相は次のとおりである。

原告は、鈴木弘助役(当時)と話合いをしていたところ、伊藤亨運転係が、原告の議論に対し、「そんなのはおかしい。」と言いだしたので、原告はどうしておかしいか問うと、伊藤は返答に詰まり、「あんたがそう思うならそれで良いだろう。」とはぐらかしたので、原告が更に問いただすと、伊藤は、「そんなの俺の勝手だ。」と言って、口論となり、原告は伊藤の右目を手拳で殴り、伊藤は原告の右手の親指を逆にねじりあげる喧嘩となったが、鈴木助役が伊藤を背後から抱きとめて、仲裁に入り、右喧嘩を止めた。その後、原告と伊藤は互いに謝罪するとともに、当時の木村萬駅長に対しても謝罪した。

(四) (1)の(ウ)(職場外の非行)について

認める。但し、<1>は、原告の同僚がやくざ風の男に因縁をつけられて連れ出されたので、原告がその仲裁に入ったところ、右の男がいきなり原告に殴りかかってきたので、喧嘩となったものであり、<2>ないし<4>は、自動車運転に伴うスピード違反などであって、いずれも、被告主張のいわゆる企業秩序の維持・確保とは無関係の事件である。

(五) (2)の(ア)(作業拒否、違反作業)について

(1) <1>について

原告の個人別ダイヤ表によれば、当該列車の遅延によりその連結作業は原告の休息睡眠時間に支障を及ぼすので、原告が作業ダイヤの変更を求めたが、当局は、ダイヤ変更を拒否してきたので、原告は作業時間内に可能な解放作業のみを行ったものである。これは、本来個人別ダイヤを変更して原告の作業日程を組み替えるべきであるのに、当局がこれを拒否したことに基づくものであり、作業拒否には当たらない。

(2) <2>、<3>及び<9>について

岩沼駅では岩沼駅運転作業内規によりいわゆる「突放入換」が禁止されていることは認める。

但し、実際は、岩沼駅では、助役を含め職員が具体的状況下で、危険性のないことを充分判断の上、回数の多寡は別として、突放入換を行っている。被告指摘の原告のした突放入換も危険性のないことを充分確認した上、作業能率を考慮した上での行為であり、特に原告の免職処分の一事由として取り上げる性質のものではない。

(3) <4>について

原告が貨車を砂利線の車両接触限界外に留置しようとしたことは否認する。

駅長の指示による留置場所につき、原告が異論を持ち、指揮命令系統につき平間助役に指示を仰いだところ、同助役は、その指示を与えず自ら操車入換の作業を行ったものである。

(4) <5>について

いわゆる「日勤勤務」は通称「ブラ日勤」といって、その作業内容が明示されていない。原告は、当局から除草作業の指示をされたが、その作業は、運転係、構内係としての職務内容ではなく、保線区の職務内容であるところから、右作業の指示が許されるか否かについては見解の対立のあるところで、労使協議も岩沼駅ではなされていなかったため、原告は、除草作業に代えて、自らの意思で清掃作業に従事したものである。

(5) <6>について

列車解結作業後、原告は、機関士に対し、制動試験合図をしたが、応答がなく、発車時間も迫っていたので、機関士の応答がない旨平間助役に報告したところ、同助役が右機関士に代わって制動試験をしたものである。

(6) <7>について

日本通運は、当時、大昭和パルプ専用線内の入換作業を請負っていたものであるが、岩沼駅の入換の都合から、右専用線の一四時出線貨車の最前部に飯田町行貨車をまとめて連結するという当局と日本通運との協定がなされていたにもかかわらず、日本通運側がしばしば右協定の内容を遵守せず、作業上不都合なため、原告が当局に対し改善方を求めてきたが、この日もその改善を求めたものであり、作業拒否を意図したものではなく、同僚の大宮に作業拒否を唆かしたこともない。

(7) <8>について

延伸期間内車両と臨時検査済交番検査車両の回送先は当面長町貨車区にするとの指示がされていたのに、本件では、検査票の「白票宛先」つまり郡山貨車区に回送せよとの指示がされたので、原告は、従前の指示のとおり長町貨車区に回送すべきこと及び長町貨車区との話合いの結果が明確になるまで当該貨車を駅に留置すべきことを申し入れ、当局もこれを了解したものであり、作業拒否ではない。

(六) (2)の(イ)(無断遅刻、早退及び出勤時刻直前の休暇申入れなど)について

(1) <1>、<10>、<17>、<18>、<22>について

知らない。なお、病気のためやむを得ず休暇をとったことはあり、妻に電話をさせたのは自宅に電話がなく、公衆電話を使っていることによる。

(2) <2>、<4>、<9>について

知らない。仮に被告主張の事実があったとしても、それは自動車通勤をしていた関係で、交通渋滞に遇ったためである。

(3) <3>について

認める。当日午前九時三〇分少し前に職場に実母から電話で隣組の人の妻の死亡の知らせがあり、かつて原告の父が急死した際隣組の人達に世話になっていたことから、板橋助役にその旨を話して休暇の申し入れをしたものである。

(4) <5>について

原告は、当日検察庁に呼出されていたものであるが、その数日前、大石総括助役が当務駅長のとき、その旨話して休暇申入れを行ったところ、同助役に午前中は代務を手配するので休まないでほしいと言われ同意した。当日の手配は同助役が当日の当務駅長に連絡しておくということであったのであり、原告は右了解の下に遅れて出勤したものである。

(5) <6>について

認める。なお、原告の申出を受けた荒助役の対応は特別否定的ではなかった。

(6) <7>について

原告は、当日急病のため二日の休暇を申し入れており、八月二三日、二四日の勤務を休んだ。八月二五日の勤務は既に二三日の段階で確定しているので、二四日に二五日の勤務を確認する必要はなく、職場への連絡は必要なかった。病休申入れに対し、病院の診療結果を連絡すべきことを指示されたことは今までもなく、この日原告の妻にかかる指示がなされたことはない。

(7) <8>について

勤務を離れたことが無断であるという点は否認し、その余は認める。なお、当日はいわゆるブラ日勤であり、この場合一定作業が終了すると当務駅長に申し出て勤務時間より早く帰宅することが多く、当務駅長も支障がなければ拒否しないのが慣例となっていた。

(8) <11>については知らない。

(9) <12>、<24>、<25>は認める。

(10) <13>について

知らない。なお、手待ち時間中業務に支障がない場合に当務駅長にことわって外出することは黙認されていたのが通例である。

(11) <14>、<19>、<23>について

知らない。なお、いわゆるブラ日勤の場合、業務に支障がなければ当務駅長にことわり早退することは黙認されていたのが通例であった。

(12) <15>について

認める。

(13) <16>について

大声を張り上げ言い寄ったことは否認し、その余は認める。

(14) <20>について

認める。駅の時計が遅れていたためである。

(15) <21>について

認める。大雪のため遅刻したものである。

(16) 被告主張の右各事例の多くはいわゆる「ブラ日勤」や「ポカ休」に関連しているが、「ブラ日勤」や「ポカ休」は被告の各職場で全国的かつ普遍的に行われていた慣行であり、労使の責任で解決されるべき問題であって、解雇処分の一理由とすることは論外である。したがって、仮に被告がその主張の右各事例をも本件処分の理由としたのであれば、本件処分は無効である。

五  原告の四の2の(二)の(2)及び(六)の(16)の各反論に対する被告の再反論

1  本件処分の理由は、あくまでも原告の昭和五五年四月二五日岩沼駅構内での所為であって、過去の懲戒処分、職場内外の非行は、勤務成績とともに被告が原告に対してした懲戒処分の選択、量定に際し考慮された事由であり、また、本件訴訟においては、原告の懲戒権濫用の主張に対する反対事実として主張したにすぎないものである。

したがって、本件処分はいわゆる二重処分には当たらない。

2  原告はいわゆるポカ休、遅刻及び早退が他の職員に比べ著しく多かったのであり、原告の非難は失当である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二  懲戒処分の事由の存否について

1  (証拠略)を総合すれば、被告の主張1(一)ないし(六)の事実(そのうちの原告の各行為を以下「本件所為」という。)を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  右によれば、原告は勤務中頭痛を理由に許可なく帰宅しようとしたところ、原告の要求する鎮痛剤を自費で調達して差し出した及川助役に対し、岩沼駅構内の運転室内及び油庫前において暴行を加えた上、正当な理由なく作業を拒否し、正常な業務を妨害したものであって、こうした原告の所為は、被告の職員として著しく不都合と評価せざるを得ないから、国鉄法三一条一項一号及びこれに基づく国鉄就業規則六六条一七号所定の懲戒事由に該当するものというべきである。

三  懲戒権濫用の主張について

1(一)  使用者がその雇傭する従業員に対して課する懲戒は、広く企業秩序を維持確保し、もって企業の円滑な運営を可能ならしめるための一種の制裁罰である。

(二)  したがって、その制度目的からして、懲戒処分としては企業秩序の維持確保の観点から有効適切な処分を選択する必要があり、その選択に際しては右の観点からの適切な判断をなすために必要な範囲の事情を総合考慮し得るものと解すべきである。

(三)  ところで、被告は、複雑な人的及び物的設備からなる有機的総合体であるとともにいうまでもなく、極めて高度の公共性を有する公法上の法人であって、公共の利益と密接な関係を有する事業の運営を目的とする企業体であり、その職員は「法令により公務に従事する者とみな」され(国鉄法三四条一項)、また、「その職務を遂行するについて、誠実に法令及び日本国有鉄道の定める業務上の規程に従わなければなら」ず(同法三二条一項)、「全力をあげて職務の遂行に専念しなければならない」(同条二項)とされている。

右に述べた点を考えれば、被告が具体的な懲戒処分の選択に当たって考慮できる事項は、その処分の対象となる所為の外部に表われた態様にとどまらず、右所為の原因、動機、状況、結果等のほか当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等広く諸般の事情に及ぶと解するのが相当である。

(四)  また、以上述べた点並びに国鉄法及び国鉄就業規則に処分選択についての具体的基準が定められていないことを併せ考えると、同法は懲戒処分の撰択を懲戒権者の裁量に委ねているものと解される。

(五)  したがって、被告の懲戒権者がその裁量権に基づいてした懲戒処分は、著しく合理性を欠き社会通念上到底是認できないと認められる場合を除いて、無効となることはないというべきである。

2  もっとも、国鉄法三一条一項の定める四種の懲戒処分のうち免職処分は、職員たる地位を失わしめるという他の処分とは異なった重大な結果を招来するものであるから免職処分の選択に当たっては他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することは明らかである。

そして、原告が被告の主張1(四)、(五)の所為により昭和五五年六月三〇日仙台簡易裁判所の略式命令で暴行罪として罰金二万円に処せられたことは当事者間に争いがなく、被告が労使間のトラブルで罰金刑が確定した職員を懲戒処分にしたことは全くないといってよいこと、執行猶予付きの懲役刑が確定した職員でも懲戒免職にされなかった例もあること、選挙違反等の他の種類の事件では被告の処分の基準はもっとゆるやかであることは被告が明らかに争わないところである。

右によれば、他の処分例と比較して、本件処分が重きに失するのではないかという若干の疑念も生じる。

3  しかしながら、被告が本件処分に際し、本件所為のほか、被告の主張2(四)の(1)、(2)に列挙の原告の過去の懲戒処分歴、職場内外の非行、及び勤務成績をも考慮して懲戒処分を選択したものであることは弁論の全趣旨により認められ、懲戒処分の選択に際して右のような事由を考慮できることについては1で説示したとおりである。

なお、右のうち職場外の非行については、そうしたものも本人の遵法精神や性格等の判断の資料となるものであり、企業秩序の維持確保に影響を及ぼすものであるから、考慮できるものである。

4  被告主張の過去における原告の非違行為等の存否について

(一)  被告の主張2(四)の(1)(ア)<1>ないし<3>について

それぞれの懲戒処分がなされたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば右<1>の処分の対象となった事由は被告主張のとおりであることが認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲証拠に照らしたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  同(1)(イ)について

(証拠略)によれば、原告は昭和四三年三月一二日陸前山王駅において藁科稔助役に対し暴行を加え、原告の振った手によって同助役の眼鏡が床に落とされ破損したこと及び<2>の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  同(1)(ウ)<1>ないし<4>の事実は当事者間に争いがない。

(四)  同(2)(ア)について

(証拠略)を総合すれば次の事実が認められ(但し、当事者間に争いがない事実を除く。)、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) <1>について

原告は昭和五二年一二月二七日、操車二入担当(操車二入とは、電気機関車やディーゼル機関車のいわゆる牽機を用いて、操車担当と構内係が一組になり貨車の解放や連結をする列車の入換業務のことである。)として勤務中、大昭和パルプ専用線から午後七時出線予定の貨車が三〇分遅れて到着したため車両の入換が所定の作業ダイヤの時間内に終了できなくなったが、作業ダイヤの変更が困難であったため、大浦武男助役は原告に超過勤務を申し入れた。当時、岩沼駅では、勤務時間内であっても所定の作業ダイヤを超過する部分については超過勤務として処理することとしていたが、他方三〇分未満の超過勤務では手当が出ず、三〇分を越えると一時間分の超過勤務手当が出る取扱がされていた。原告は、一時間の超過勤務として処理することを要求したが拒否されたため、作業時間内に解放作業のみを行い連結作業をせず、このため残った車両の連結作業は翌日となった。

(2) <2>、<3>、<9>の事実は当事者間に争いがない(突放とは、動力車で貨車を押しながら途中で連結器を解放して、動力車だけ制動をかけ、惰力で自転していく貨車を構内担当、連結担当の者が貨車の脇に付いているブレーキで速度を制限しながら留置線に持っていくか留置線に止まっている貨車に静かに連結をしていく作業のことである。)。

これに対し、原告は、岩沼駅においても運転作業内規によって突放は禁止されてはいたものの、助役を含め職員は突放を実際に行っていた旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う供述もあるが、その供述はたやすく措信できず、他に岩沼駅においては、助役を含め職員が右突放を実際に行っていたことを認めるに足りる証拠はない。

(3) <4>について

原告は昭和五三年七月二一日、岩沼駅操車一入担当として勤務中、午前六時四〇分ころ、駅報で下り三番線又は下り四番線に留置すべきレール積貨車二両を砂利線に留置しようとしたところ、目黒正夫動車運転係が駅報で定められた作業をすべきだと主張したため口論となり、目黒動車運転係が動車のエンジンを切ったので、原告は駅の運転室に戻った。原告から報告を受けた平間勝郎助役は、作業指示を出したが、原告が応じないため、同助役が入換作業を行い、右貨車を下り四番線に誘導した。

(4) <5>の事実は当事者間に争いがない。

(5) <6>について

原告は昭和五四年一月一二日、岩沼駅操車二入担当として勤務中、貨車解結作業終了後、機関士に対して制動試験合図をしたが、機関士が合図を見ていなかったため応答をしなかったところ、かかる場合原告自ら機関士のところに直接行って制動試験を行う義務があるにもかかわらず、作業を打切って放置した。そのため機関士からの無線連絡を受けた平間勝郎助役が制動試験をした。

(6) <7>について

原告は昭和五四年七月一七日、岩沼駅操車二入担当として勤務中午後一時三〇分ころ、運転室内の休憩室で大昭和パルプ専用線から午後二時に出線した貨車を見て、岩沼駅の入換の都合上同時刻出線の貨車には最前部に飯田町行貨車をまとめて連結するという日本通運との協定に反して最前部に飯田町行貨車が連結されていないことに気付き、入換作業に従事中の操車一入担当の大宮敏明に対し「なおさせろ、なおさせろ。」と言ったため、大宮は作業開始の指示に従わず、その結果、被告の利用者の違反作業があった場合には被告から利用者へ事後注意をするにとどめて作業はこれを進めるのが通例であったにもかかわらず、被告は日本通運に右違反作業を訂正させた。

(7) <8>について

岩沼駅においては貨車は、その安全性を確保するため、使用日数を基準として一定期間走行したものは貨車区において交番検査を受けるが、検査期間及び延伸期間を経過した後は、原則として、走行させることができず、貨車の留置駅に最寄りの貨車区から検査係が来て回送できるか否かについてのみ臨時検査をし、回送できると判断すれば、検査係が回送先を指示して更に検査をするため回送する扱いであった。

原告は昭和五五年一月二九日、検査係から臨時検査の結果、私有貨車等の特殊車両については常備駅所属の貨車区である郡山貨車区に回送するよう指示がなされ、平間勝郎助役から検査係の右指示通り回送するよう指示を受けたのに、作業計画では長町貨車区に回送することになっていたことを理由に右作業を拒否した。

(五)  同(2)(イ)について

(証拠略)を総合すれば、<1>、<2>、<4>、<6>ないし<11>、<13>ないし<15>の事実、非休とは実際の勤務時間が協定された労働時間を超える部分が一日の実働時間に該当する時間がたまった場合与えられる休暇であること、ブラ日勤とは勤務指定のない日勤勤務のことを意味すること、原告は他の職員に比べ無断遅刻、無断早退、いわゆるポカ休(出勤時刻直前の休暇申入れ及び勤務開始後突然の休暇申入れのことをいう。)が目立って多かったこと並びに職員からの休暇申入れがあった場合代替要員の確保が困難であったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

<6>、<20>、<21>の事実は当事者間に争いがない。

5  右4の事実によれば、原告は上司に対し攻撃的反抗的で協調性に欠け、仕事に対する責任感が薄く、遵法意識の稀薄な面及び秩序軽視の態度が見られ、勤務成績は不良であり、しかも粗暴な性格を有していたと認められる上、過去に懲戒処分や罰金刑を受けたことがあるにもかかわらず本件所為に及んだもので、反省心にも欠けるところがあったと認められるものである。

以上認定の諸事情を総合考慮すれば、本件処分は社会通念上決して容認できないものではなく、本件処分の選択について裁量権濫用の違法があるとは認められないものである。

四  原告の二重処分及び慣行無視の主張について

1  被告が本件処分の選択に際し原告の過去の懲戒処分歴をも考慮したのは既に処分の対象となった過去の所為を改めて懲戒しようとしてのものではなく、本件所為に対する懲戒について適切な処分を選択するための一判断資料としたにすぎないものであるから二重処分には当たらない。

したがって、本件処分は二重処分に当たる旨の原告の主張は失当というべきである。

2  いわゆるブラ日勤やポカ休が被告の各職場において全国的に行われていたことについては、被告が明らかに争わないところであるが、原告は他の職員とは比較にならないほどポカ休や無断早退等が多かったことは前記三4において認定したとおりである。原告のした右ポカ休や無断早退等と同程度にポカ休や無断早退等が被告の各職場において全国的に慣行として行われていたことについてはこれを認めるに足りる証拠は存しない。

したがって、本件処分はポカ休等の慣行の存在を無視したものである旨の原告の主張も失当というべきである。

五  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 磯部喬 裁判官 遠藤きみ 裁判官 古部山龍弥)

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